2001/08/09 (Thu) 22:34
「死」について
昨日、ふと、携帯留守番電話を見ると、
実家から「お向かいのおじさんが亡くなった」という連絡が入っていました。
お向かいといっても、親戚のように親しくしていたおうちなので、
私もお通夜に行って来ました。
享年72才ということでした。
実家と一方的にほぼ音信不通状態にしている私には分からないことですが
具合が悪かったという話も聞いていなかったので、急なことだったのでしょうか・・・。
人間、誰しもいつかは死ぬのだから仕方のないことだけれど、
知っている人が亡くなるというのは哀しいことでした。
一番悲しかった死
私にとって、今までで一番哀しかった死は、
身内ではなく、担任していた生徒の死でした。
身内や親しい人の死については、
私が死の意味がよく解らない時のことであったり、
幸い、両親は健在ですし、今まで若くして亡くなった人や、
急に亡くなったという人はいなかったので、
それなりに別れを予感できたり、
その方の年齢を考えると、死を受け入れやすい、ということもあったのでしょう。
生徒は亡くなった時、14才でした。
重度心身障害児でしたから、体も弱かったのですが、あまりにも突然の死でした。
急に家から施設に移らなくてはならなくなった、環境の変化に耐えられなかったようで、
施設に行って2日で亡くなりました。
その生徒が環境の変化に弱いことは、分かっていたことでした。
なぜ、もっと環境の変化に耐えられる力を教育の側から育てていけるよう、
何かできなかったのだろうか、と、
自分の力のなさを痛烈に感じました。
あんなに急に施設に行かなくてはならなくなるとは、思っていませんでした。
まだ、中学2年生なんだから、進路を決めるまで時間はあるという、
見通しの甘さもありました。
そんな、教師として未熟な私に対して、その生徒の家族の方たちはとても優しかった。
私は恨まれても仕方がないと思っていたのですが・・・。
「この子と勉強したことを無駄にせず、先生を続けてよ」と言ってくれました。
あの時、あの言葉がなかったら、
その後、私は少なくとも重度心身障害児の教育に携わることはできなくなっていたでしょう。
あの言葉があったから、心身共に体調を崩して、心療内科とカウンセリングに頼り、
最低限の仕事しかできなくなっている今も、
まだ、教師という仕事にしがみついているのかも知れません。
その一方「あの家の育て方だったら仕方ないよ」という、
同僚の心ない言葉も聞こえてきました。
詳しい事情を知らない人たちの悪気のない言葉だけに、
怒りの向けどころがなくて、どうしようもなく、悔しくて、哀しかった。
私は生徒のお葬式の後は、休みもせず、一応、仕事に行っていたようです。
はっきり覚えているのは「死」に関する本を必死で読んでいたことです。
その生徒のお通夜とお葬式のことなども、ぼんやりとしか覚えていないけど、
ちゃんと出席して、何か手伝いまでさせてもらっていたようです。
記憶はぼんやりしているのに、断言できるのは、
私がその頃のことを克明に日記に残しているから。
なぜ、あの精神状態で日記が書けたのか、今となっては不思議です。
でも、私の中の誰かが、
そう、今はニキータと名付けたあなたが、忘れてはいけないと、
書き記してくれたのでしょう。
あの頃の記憶が日記という形で残っていることに感謝しています。
もう、何年も経つ今でも、こころの整理ができていない出来事ですから。
「哀しくない死」というのはないのではないでしょうか。
でも、親にとっては子どもに先立たれるほど哀しいことはないのだということも、
生徒の死を通して知りました。
天に召されたお向かいのおじさんのご冥福をお祈りいたします。




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